【引退世代のための支援法】
高齢者を尊重する
家族が畑に行きやすいように作られた自宅と対岸の畑を結ぶ橋は祖父の手作りです。時は過ぎ橋に空いた穴に、畑へと向かう父の杖がはまって転倒しないように補修しました(お見苦しくてすいません)。でも、この話はそんな美談では終わらないのです。ある日私の補修した板が取り払われていました。
取り払ったのは父でした。でも結果として、取り払った父の正解でした。橋の枕木の一つが腐って下に落ちてしまったのです。取り払ったのはストックとして工具箱の下の架台(実は橋のスペア枕木として用意されていたもの)をはめ込むため取り除いた、というのが理由でした。私が考えていた以上に父には考えがあったのです。
月並みではありますが、お互いを尊重することが大切です。とにかく、何事もなくて良かったです。
会話の中で両親のニーズを知る
徐々に離れた田畑まで足を運ぶのがつらくなりに作物を植えるのを辞め、防草シートをかけたのも父です。ある程度次の世代への道すじを作ってくれたものとして、こちらも今では感謝しています。
だから子供を見守るように一方的に保護してあげるという感覚ではなく、何ができて何がやりにくいんだろう、と会話の中で察して、ニーズがあるようなら力を貸すというスタンスで見守った方が親子の軋轢を生むこともないです。
こちらが主体の話で提案
例えば稲作、畑作も広い農地全ての面倒を見るのはしんどそうだったので、興味がある、妻がやってみたいと言っている、とこちらから提案をしてみたら、『それなら』という話になり田んぼは私が主導し、畑の両親のやりきれない部分を妻が主導してやるという話にすんなりいったのです。
私主体の農作業↓
少しくらい遅かったり、不器用な収穫になってもうれしい。これが生きがいってやつかな。,#遅い収穫,#不器用な収穫,#喜び,#生きがい, pic.twitter.com/4AEbTayt3y
— アウトインドア派でいく (@nounoutoiki6) November 28, 2023
妻主体の農作業↑
主体同士が付かず離れず
2つの主体:両親夫婦と我々息子夫婦が互いに尊重
両親には畑で動き回って健康でいてほしいと願います。老人と言えば介護の話をよく聞きますが、意欲をもって自分の足で動き回ることは、介護の必要性がない証であり、介護予防の観点からも理想です。両親に対しては、基本見守るだけです。
両親が意地になっているなら自分を客観視できるものをさりげなく見せる
しかし意欲をもって動いていても、転倒等、年齢ゆえに動けなくなる危険性もはらんでいます。気づかう言葉をかけても親子ゆえに、強がって拒絶されたりということがあります。そんな時は新聞の高齢者の事故の記事や見かけた高齢者の事故の話をします。
父は「高齢者は危ないなぁ」と記事を見ながら言い、しばらくして免許返納を決意しました。
老人の体力の衰えを知り、認識を同じくする
ですから、彼らの身体面・精神面を見守る機会で、本人の行動におぼつかないところがあったり、不安を訴えるようなところがあったら、会話をすり寄せ互いの向く方が同じになるようにします。
ただ、両親がやる気をもって身体を動かそうとしている時は声をかけないようにして、ちょこちょこ様子を見守るようにしています。その代表的なものはゴミ出しです。幸い自宅から100m程大通りでない小道を進んだ公民館の脇にゴミの集積場所があるので、両親の住む母屋分だけのゴミの運搬なら無理な話ではないと判断してのことです。
自分達同様両親達も自分の人生を歩んでいるわけだから、押し付けない見守りが必要ですね。
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