農力(農の魅力)で農作業で身体を動かすことは大変結構ですが、老人は得てして自分の体力の衰えを受け入れないで無理な作業で身体を痛めることがあります。こうした老人の無謀な(農)作業の予防は家族の声がけの力で予防できると、今回父と母が植えたサツマイモの収穫時期になって実感しました。どのように声がけをしたのか、お伝えします。
作る量をセーブするよう声がけ
今年、父と母が共同して行ったじゃがいも栽培に関しては作る量が多く、結果として収穫を低姿勢で長時間かけたことにより、母が足腰を痛めてしまいました。

その後、依頼で若干広げられちゃったところもありますが、口を酸っぱくして注意を促すと、ケガ後に育て始めた大根と白菜に関してはこれまでより狭い範囲で植えてくれました。

収穫に手間がかかる量の農作物を植えると、病院通いをするハメになってしまうことは母がじゃがいも掘りで足腰を痛めてしまった一件で学んでくれたと思います。
声がけの足りなかった点
本来でしたら、我々夫婦と両親が助け合ったり、重複することがないよう作る作物の集約を図らねばならなかったのですが、声かけが足りず、サツマイモを父母と我々夫婦両方の畑で作るはめになってしまいました。
その後、父と母に予め何を作ろうとしてるか伝え合い、収穫に手間がかかる作物(特にサツマイモ)は1箇所で作るよう申し合わせました。

父母の裁量の範囲についての声がけの前提づくり
父達の畑を手伝う可能性も考慮し、妻が子供達の力を借りつつ我々管理の畑のサツマイモを収穫しました。しかし、さすがに後で腰にきたようです。

おかげで立派なサツマイモが収穫できました。
しかし、父母の畑は妻より植えた日が遅かったにせよ、日に日に茂りが激しくなってきて妻も心配の様子です。

というのも、父は足腰を痛めた母の日常生活のサポートをし、そこに夏場の炎天下が追い打ちをかけ体力と気力が衰えた状態だったからです。

父母の裁量の範囲の放置状態のサツマイモについて父に声がけ
父は会話をしてみると考える力は衰えておらず、農力(脳の魅力にひかれて動く力)も維持していた様子だったので、誰にも相談せず父が植えたサツマイモの収穫に無理してとりかかる前に、あえて畑の前で声がけすることにしました。
収穫できるかの問いに、体力がもたないので自信がないとのこと。自分の目で茂った様子を確認しただけで、サツマイモのツルや葉は手に負えないものに写ったことでしょう。

無理もないです。ツル返しもしていないこの迫力のサツマイモを足腰が完治していない母とやろうとするのは無謀です。それを実感してもらうためにも、あえて現場を前に意向を確認することにしたのですが、成功でした。

それから、収穫は私がやるので、父も母も見守るだけにして私ら家族に任せて欲しいと声がけしました(実は私、幼稚園のサツマイモ収穫体験以来収穫経験一切なし)。これには、父も少し安心したように『任すわ』と言いその場を去りました。

まとめ
結局、父も母も自分達がするしかないという強迫観念みたいなもので無茶をした農作業をするので、支援する側が声がけをして安心し方向性を示してあげることが大切だと感じました。そのためにも、本人が納得するように現場で困難な状況を見させてあげ、その場で支援の提案をすることが老人の無謀な農作業を予防する一番の方法だと感じました。次回に続きます。
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