Know農と生きるために

Know now

マイナスなイメージの”のうのうと”という言葉ですが、のんき.のんびり.のびのび、といったプラスの意味もあります。農の世界はマイナスな言葉で語られることが多いですが、作業を一つ一つのんきに知って、のんびり農作業をし、のびのび運動感覚で取り組めば、精神衛生上癒されることも多く、健やかに過ごせます。今後も大きなことを考えるのではなく、単に知ったことを肩の力を抜きつつ行動に移し、体の衰え・土地の荒廃等マイナスをプラスに変えてのうのうと生きていけたらと考えます。

はじめに

Know農と生きるために…

終戦時に生まれた父母は毎日のように農作業をしていますが、時にはヒヤリ・ハットも

農作業といういきがいのために活かされる知恵と体力
父も母もご多分に漏れず、全て相思相愛というわけではありません。しかし、こと農作業については結束して取り組み、農作業をするために互いが薩長同盟を結ぶようなシーンはよく見られます。いきがいが間をとりもつのに活かされているわけです。

結果として子供の私が手を貸さず、自分で農作業に復帰した両親ですが、それを見て、2人のいきがいとも言える農作業が彼らの精神にもたらす恩恵を知ると同時に、将来の自分や子供達も自助努力で生き生きと過ごせるようにしたい、と心底思いました。そこで、農環境と共に無理なく生きるための、のんきな発想のポイントをご紹介したいと思います。

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<巡り巡って自分に恩恵を与えてくれる社会>

私はたまたま、農家であり農作業をする機会があり、そこで知り得た農作業を筋トレにできものか考え、様々な農作業の道具を活用し取り組んでいます。衰退しているイメージの農分野でも人々が能動的になれる要素を発見したら、それが自分や身近な人のためになるものに変わるかもしれません。そんなのんきに知り得た発見したことを多くの人がプラスと考えることに変えて実践していきます。

【農をいきがいの場に】

地方では田畑や山林が、住宅や店舗として人々が集う場所になる一方、耕作放棄地となるところも見かけます。勿論、耕作放棄地になるより買い物をする場所等に有効活用されるのはいいことです。しかし、住宅や店舗だけでなく農地・山地を、皆が生きがいを持って農体験ができる場所として活用する、ほどよい社会がいいのではないかとのんきに思います。

農でのんびり人々が集い、体を動かせたらいいですね
農を生きがいに、みんなが集う場所があったらいいですね

【繋がる場所】

仕事、家事、家族の見守り、今の世の中、時間を割かれることは数多くあります。それも影響してか家族や社会で人が集う機会・繋がる場所が少なくなり、身近な繋がりが希薄化している印象を受けます。しかし、我が兼業農家では老若男女が生きがいを持って農を生かせる場所として、私達夫婦2人と子供・両親が、協力して農作業をしています。

生きがいを共感
家族や人々が共通の生きがいを持ち、共感できたらいいな

【のびのび動く場所】

ジムのように全天候型の強みはありませんが、早朝に効果的な運動法を取り入れ農作業をする等工夫をすれば、きれいな空気、景色、やわらかな土の感触の下、ジムに勝るとも劣らない素晴らしい身体を動かす場所となります。

身体を動かす場所

ずっとジムより手軽な運動フィールドが身近にあります。

農道にて早朝にインターバル速歩をしている様子です。
人の力を農の力を活かせるところは活かしておかないと、損することは数知れません。

【のんきに工作する場所】

消費者として享受する視点だけでなく、作物や作業性をよりよいものにするために、のんきに工作して工夫すれば、農は果てしない潜在力がある!(と信じます^^;)。そんな自由なDIY発想がかなえられる場所にするつもりです。

wi-fiで住宅と農地を結ぶ
屋外で家事と農作業、家族との連絡を平行して行うのに、自宅wi-fiが活躍します。

【のんびり耕作する場所】

のんびり耕作しながらも自分が考えただけの目標収量や品質になった・自分の考えたような効率的な作業ができた等、その成果が感情を揺さぶり、自分のチャレンジ精神をかきたてます。

かぼちゃ、とうもろこし
両親が管理しきれない畑を妻が管理し、育ててくれた成果が形となりました。

<変化>

持続可能な存在か疑わしい日本の農環境

 経験がおありの方は、そんな考えの奴もいる、くらいで収めていただけたら幸いです。「私という一人の人間の衰えは必ずやってくる。家のこと、農のこと、山のこと、この先も全部自分でやれる訳ではない。」と稲作を親から引き継いだ時に感じました。

”人と農が共に活かされ、相乗効果を生む”というキーワードでAiのChatgptが作り出した画像
”人と農が共に活かされ、相乗効果を生む”というキーワードでAiのChatgptが作り出した画像

生業でなくとも農には価値がある

 農業の経験年数も大してない私が、文章にてのうのうと語らせていただきました。農業として生業(お金)にしているわけではありませんが、農と生きることにもっとメリットを見出したいと思います。

農が時代を超えてのんびり取り組めるものとなるよう変えていく

 実践することはのんきに知り得たことを元にしているため、失敗することも多いことかと思います。しかし、バカにされようとも、実践したらそれが価値ある可能性を秘めたことなら恥を忍んで実践していこうと考えます。今の子供達の未来が自分達で、自分達の未来が親達の現在であるとした時、その未来が訪れた時に互いが健やかであるため、より農を身近になくてはならない存在として活かしていきたいです。

家族
みんなが助け合い、自然と調和のとれた生活が理想です

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